暗夜
この時期は特に、夜が長い。
夏でいう夕方も、冬では夜と化す。
星々が目を覚ますのも当然の如く早い。
今宵の三日月もまた、満遍の笑みを浮かべ、
私たちを見下ろしている。
そうかそうか、そんなに嬉しいか。
心すら見透かされているのではないかと思いつつも街灯に照らされた道路の真ん中を優雅に歩く。
闇は、深い程に自分を見失いかけない。
光に頼るな、とは言わない。
だが、頼り過ぎても足元を掬われるだけだ。
道を照らす光がある事を当たり前と思ってはいけない、、、
"当たり前"は、速攻で消滅する。
子供の頃の風景も、大人になれば変わる。
当たり前の事など、一つもない。
そう、我々の人生という名の旅路もまた、
当然のルートなど存在しない事を、此処で言わせてもらおうではないか。
「過ぎ行く日々は、
まるで吹き荒れる風だな。」
暗示
新たな生命の誕生は常に輝かしいもの。
時には愚かに感じ、産まずに捨てるもの。
代わりなど、絶対に無い。有り得ない。
ノーと答える人は少ないだろう。
幕を開ける前に、閉ざされた命。
開けれたはずの扉を、開けるなと止める誰かの手。
穢れたその手を握る事は、無理である。
DEATH..
死
私にとって、死とは永遠のテーマであり、追及するが末は見えないものと認識している。
人は必ずそれを経験する。人生は死ぬ事で完成する。
愛する人、尊敬する人など、そのような人が死ぬ時は涙する人も居るのではないか?
哀しむ気持ちがわからない訳ではない。
が、しかし、私は喜ばしいものと感じる。
やっと死ねたのだな、と心の中で拍手、賞賛する。
私にとって、死とは最大の願望である。
数多いる学者、著名人、偉人、犯罪者、小説家、音楽家など。
彼等は死して尚、偉大だと称賛され続けている。
それは、何故か?
無論、死んだからである。死ねたからである。
人は死んでやっと、完璧になる。完全になる。
死を恐怖するものは、何故怖い?
死の先が何か分からないから不安になるのか?
そんなもの考えるだけ無駄である。
その死の先へ行かない限り、結論などでないのだから。
産まれ付いた瞬間に、死は隣に来るのだ。
死と隣り合わせ。 死、合わせ。
"幸せ"。これは私の持論でしか無い。
自殺願望者たちよ、死にたいのならば死ぬがいい。
私を君達を誇りにすら思う。
先に逝っててくれ。
どうせいずれ、皆逝くのだから、な。
「世の悲鳴は、奏でる。美しい哀唄を。」
寒度
本日は特に、日本という国を寒さで支配しただろう。
肌を晒せば一瞬で凍り付くように固まってしまった。
これに一つだけ、反逆する術がある。火である。まぁ、日でもある。
炎は時に人々を恐怖に陥れる。炎まで行くと燃えてしまう。
だから私は、焔くらいが丁度良いのだ。暖まるのは身体のみならず、時には心をも落ち着かせる。
あぁ、良い。冬は良い。
「生まれ変わるのならば、人々の明日を照らす太陽か、暖炉の焔になりたいものだな。」
疲労困憊の末の怠慢
人は疲労が溜まりに溜まると何もしたくなくなる。
しかし、それを理由にして総てをおざなりにしてしまうのは、実に勿体無い且つ傍迷惑極まりない事だ。
己の精神、心の芯の底が強い者。根の根、最底辺の根っこが強ければ強い程に、人は疲労に打ち勝つ精神を持てる。
だらけた姿を他者に晒すべからず。
耐え忍ぶ精神を備え付けるべし。
世界からの重圧に押し負けるな、我慢せよ、人々よ、立て。
「あゝ、嗚呼。空はこんなにも、青かったのか。」
酩酊。
酒は飲み過ぎると気が高揚し、自我を失いかける。失いかけるどころでは止まらず、その場にいた記憶が消失する事も少なくはないだろう。
気分を害し、汚物を口から垂れ流す者もいる。
だが共通して言える事は、飲んでいる最中は皆快楽に溺れ、心身共にお祭り騒ぎであるのではないだろうか。
一種の薬物とも言えるのではないだろうか。
だが他人と自分は決して違う。同じペースで体に蓄えるのは危険である。
何時も、自分の速度を乱すことはしない方が良い。慌てずに、自分を見失うこと無かれ。
その場の流れに呑まれるな、自分は自分だ。
そして知る事だ。死は、常に迎えに来る準備を万全に整えていることを。