年終。
一年の節目。
今年の終わり。
そんなものほど、どうでも良い事柄があろうか?
自らの身の終了はいつか?
世界の崩壊はいつか?
生活の終焉はやがて来る。
それに備えておけ。
浮かれるな。
だが、常に余裕を持て。
さあ、笑え、嗤え。
「時代の幕開けまして、おめでとう。」
訪冬。
やがて秋の終結と共に襲来する冬の群れ。
拒んでも勝手に、傍若無人にやってくる奴等は嵐、台風の類よりもタチの悪いモノなのだろう。
季節は4種あるのだ。
考えた野郎は天国か地獄か、どっかでほくそ笑んでいるのだろうか。
言葉とは良く出来たモノで、日本人に於いて冬といえば寒いと云う植え付けが成立する。
その感覚に悪寒がしてしまう昨今の私だ。
それと同時に絶望を味わう。
結局抗えず、運命という檻から脱却する為にあゝだこうだとしている間にも、
時間は進み、老いに逆らえず、シワの増加に落胆して布団の上でいつの間にか息をする事すら辞め、死んで逝くのであろう。
世間は食欲、読書の秋であろうか。
私は、無欲の秋である。
人間を辞める日も近い。
では何になるか?そう思うのが普遍だろう。
残念、普遍からもかけ離れた私は、何者にもなれないのだ。
笑いよ、地震と共に果てなさい。
ノストラダムスの弟子より__最果ての浪漫へ。
「秋、あき、飽き、、、、、亜鬼。」
かけ離れた惑星の木造送信機より、地球宛に送信。。。。
哀愁漂う背中を見つけたらそれは殺人鬼である。
ratahetetah......../////
普通ならぬ普遍
普通という概念について綴る。
普遍。
此れは、個々人によって偏りの出る表現である。
「これ、普通では?」という発言。
あなたにとっては普通であっても他者からしたら普通ではない。
あらゆる面で長けている成功者達。
有名人、芸術家、ミュージシャン等の人々がよく言う。
「普通の生活を送りたいなぁ。」という発言。
あなた方にとって、その世界での生活がもはや"普通"であるので、誤りである。
つまり普通は、何色にでも染まり、
無である。
今後、普通という言葉を禁じ、
" 普遍 " を使って頂きたい。
普遍であれ、普通であるな。
自分とは程遠いものに人間は惹かれる。
本能とは、そういうものなのだろう。
高望みする事で向上心を持ち、日々生きることが出来る。
憧れは、するものではあるが、されるが華だ。
憧れは所詮、真似事の一貫に過ぎない。
自身の世界を創り上げ、それを認めさせよ。
「世界、大世界…
嗚呼、大正解。」
悟昼。
休みを得た時の快楽感といったら無いだろう。
身心共に安堵する事は大事である。
しかし、休む時間に対して労働時間の方が圧倒的に多いのは周知の事実である事は誰もが知っているのでは無いか。
昨今の人間は働くことを強いられている。
働かなければ、生きて行けないからである。
自身の価値を上回る存在、
金である。
これが無ければ死ぬのが今の人類である。
我々は進歩をした。
し過ぎたのかもしれない。
差別化が進んだ。
曖昧なものはなく、区別される事が増えた。
今でも何処かで誰かが死に、生まれる。
産まれること、それは死ぬ事。
昨今の地球は、
住み易い世界になる事で、
孤独でも絶望しない者も増加している。
それはつまり、子孫を残さないという事である。
そのまま衰退して滅亡するとは微塵も感じていない。
自分1人が何をしても、何も変わらないと悟る者達。
其れを思う人間が貴方、貴女1人のみでは無いと思いなさい。
打破するなら、動け。
他人は他人、自身は自身である。
都合の良い時だけ他人を言い訳にする時点で、
自分は自分ではなく、他人と何ら変わら無いのだ。
「みんな違ってみんないい?
他人の真似事に逃げた
愚か者の前でも其れを吐けるのか?」
夏訪 故に夏バテ
月日が流れるのは早いもので、此の手記晒しも二ヶ月あまり更新せず放置していた。
そんな事を知った事かと言わんばかりに世の中は動いており、地球の奴も呑気に廻っている。
暑さが身体を侵食し始めた昨今。
身体が熱を帯びて、肌という肌から汗という塩水によく似た汁を出し続ける日々。
エアコンに頼らなければ恐らく死ぬのではないかと不安になる人々。
長袖から半袖と化す国民。
それにより肌がパンのように焦げて行く。
当然のように見えている此の私も、もう日本という国に毒されているに相違ない。
負けだ。私は負けを認める。
国に敗北した。闘いにすらならぬ。
これはネガティヴ思考だからではない。
いや、国ではない。
私が敗けたのは、太陽、貴様だ。
そろそろお前も休め、燃えるのをやめろ。
やめてくれ。
助けてくれ。
「痛いよう。い、太陽。
_________太陽……?」
人間たるもの。
支配、洗脳によって植え付けをされている我々人類。
あゝしろ、こうしろと指示される内に、
まだかまだかと指示待ち人間と化している事に気付いているだろうか。
未だ我々の知識では、時間というものを戻す術を持たない。
それはつまり一方通行の人生である。
果たして、待っているだけで良いのか。
立ち止まって他人に都合良く操られる事に笑顔で受け入れるだけの凡庸な人間と堕ちる事は、私はお薦めしたくない。
その輪廻から外れる心を持て。
終わりのない無限回路の中で彷徨い、人生に幕を閉じるのは余りにも誇れない。
動け。抗え。逆らえ。
受け入れをするなら、ちゃんと吐き出せ。
当たり前を疑え。
人生とは、常に疑心暗鬼で過ごす事で有意義な時間を得られるのだ。
常人と逸脱するという向上心を持ったものこそ、真の勝利を得られるのだ。
闘え。それが人間の本能である。
「証拠として、戦争は絶えてないだろう?」
おもひで。
記憶、思い出。
其れは人間にとって掛け替えの無いものである事は明瞭である。
しかしそれと同時に、未知なる未来へ旅立つ際に邪念となり得る存在である事も明瞭である。
過去を振り返る事は悪くは無いといつかの私は告げた。
懐古は確かに快楽を共有すると云う点に関しては良いかも知れない。
あの頃はーと友人と語らうのは何とも賑わうものだ。
歴史の偉人達が居なければ、現在の私達は存在してないのも明瞭である。
しかし、私は、待てと言いたい。
過去に執着する事は決して悪くは無い。
だが、進歩を自らで停止しているに他ならない。
嫌な事があるとする。
其れを忘れられず、巧く前進出来ずにいるとしよう。
その時、記憶は邪魔では無いか?
良い事もまた然り。
其ればかりを何度も思い出し、空想し、前進する事を諦めてはいないか?
人間は前にしか進めぬ生き物だ。
過去ばかりを眺めるのはあまり良いとは言えない。
過去は美化されると、ある日の私は告げた。
此れは現在でもその通りだと思っている。
つまり、記憶が私達の成長を止め、時間だけを貪り、老わせ、いずれは死を与えているのだ。
此れはもう、どうしようもないのだ。
これを綴った事も、
既に過去の産物なのだから。