雑多語録 〜叱られる前に悟れ〜

記されている事柄全てを鵜呑みしてはいけない。常に疑うことを忘れない精神を持って欲しい。

春舞

 

冬の撤退と共に、春の到来を迎えた今日この頃。

 

ピンクに染まる景色。

桜の花弁が空を舞い、より一層春を歓迎しているように見える。

 

胸に花飾りを身に付け、新たな勉学生活を始動させる少年少女の集い。

そして新社会人の群れ。

 

華々しい未来である事を願い、この場を借りて敬礼をさせて頂こう。

 

そして春。それは、奴等の襲来を意味している。

 

花粉   をご存知だろうか?

この忌々しい粉共は人々にとって災禍でしか無い。

ペストと迄は行かぬとしても、死人が出ないとて迷惑被る物であることは明確である。

如何なる措置を施そうとも、その隙に滑り込んでくる奴等の傍若無人さを尊敬さえする。

 

しかし、決して挫けてはならない。

負けてはならない。

生き抜け、春を越えよ。

共に闘うべきである。

たかが粉であることに変わりはない。

振り落とせ、時代からの脱却を目指すのだ。

 

綴るべき事は此れだけである。

 

 

「春、はる、ハル……ヘル.....HELL…?」

 

憤怒

 

諸君はどのような場面で人に対して怒りをぶつけたくなるだろう?

 

自分にとって不合理、且つ不条理な発言をされる場合だろうか?

それもあり得る。的を射ている。

 

 

しかし、多くの場面ではこちらの方が当てはまるのではないか?

 

 

「自分で分かり切ってる事を相手に指摘される事」

 

 

大体、この場合の返答は

 

「分かってるよ、煩いな」 だろう

 

 

自覚している事を再確認される事で人は怒りを覚える。

 

相手を不快に感じる。

 

人が同種を憎む。

 

同族嫌悪への第一歩を、着々と進む事となる。

 

果たして私達は、敵としてしか関われないのか?

 

逆を考えてみよう。

 

それさえ認めてしまえば、

分かり切ってる事を再び問われても何も感じずにいれれば

 

憎まずに共存していけるのではないか?

 

己の弱さを、未熟さを見直す事さえできれば

私達は争わずに済むのである。

 

敵なんて、最初からいなかったのだ。

 

 

「戦う前に、闘う前に、察せよ。」

 

 

 

愚者

 人間は愚かである。

 

まずはそれを自覚すべき事柄の最優先事項である事を頭に入れて欲しい。

 

我々は様々なもの、事に手を"出し過ぎた"。

 

恐らく自分達で築き上げたものが火種となり、自らで身を滅ぼすこととなるだろう。

 

 

 人間は何かに縋らなければいけないという固定概念を植え付けている。

 

死ぬ間際でさえ、「まだ死にたくない。」と何もない何か、まさに無にしがみつく。

 

助けを乞う。自分にはないものを補おうとする。

 

常識に囚われる。

 

誰かが暦を作った。何者かが時間という制限を生み出した。

あたかも”最初から存在していた”といわんばかりに。

 

自分で自分の首を絞めている。自傷行為を合間なく行っている。

 

便利であることは確かである。

 

しかし、

 

暦を作ったことで”老い”を絶え間なく実感してしまう。

 

時間を作ったことで、何かから幾時も追われる羽目になる。

 

心の余裕は完全に葬り去られた。

 

自由を謳っている我々だが、そんなものは傍から存在しないのだ。

 

全生物の中から唯一知識が特化してしまったがために、幾多の試行錯誤をしたが故に発生してしまった当然の結末といえよう。

 

得ようとし過ぎた。

 

それが愚かと云う事か。

 

果たして世界はどうなる?

 

____見据える前に、この身は果てるが________。

 

 

 

 

 

 

全悟

 

人は悟る。

 

幾度となく悟りを繰り返す。

 

全てが善であるかは人それぞれである。

 

度重なる苦行、悪行を経て真に悟る。

 

その後如何なる人生を歩むのか、

 

理解した上で邪の道を選ぶのか、

 

はたまた考えを改め初々しい旅路を始めるのか。

 

どれが、何処が必ずしも正しいとは他者には解せないものである。

 

己一筋で行くしかないのだ。

 

自身が真の理解者足り得るのだから。

 

自問自答を繰り返せ。

 

悟るにはそれが一番近しい。

 

「沙汰は自殺者達は、

                          世界の行く末を悟ったのか?」

 

欲求

 

この世に数多に蔓延っている欲求と云う存在。

 

その幾多ある欲求の中でも人々に共通して存在するものといえば三大欲求にも選ばれた

 

「食欲、性欲、睡眠欲」 である。

 

空腹を紛らわせるために何かを食したいと思う感情であり

 

他者との営みに講じたいと感じる事であり

 

眠ることで身体を休めたいと感じる事である。

 

だが、決してこれらの3つを満たさなければ必ずしも死んでしまうわけではない。

それは誰もが熟知している事だろう。

 

そう、欲求というものは固い信念さえ有れば

自身で制御することが可能なのである。

 

極論ではあるが、犯罪と同じような立ち位置に欲求を置いてさえいれば、出したくても出せないという状況が完成してしまうのだ。

 

それに欲求というのは、その時一瞬の快楽、達成感、満足感を得られるだけであり、

人間単位でいう、数年後もそれらを得られているとは到底思い難い。

 

つまりはこうだ。

 

固い意思を待て。

自分をコントロールする術を持て。

我慢を極めるのだ。

 

 

さあ、君は選ばざるを得ない。

現在を満たすだけの愚者か

将又、未来を見据える観測者となるかを。

 

 

 

 

 

重圧

 

私達人間は日々、重圧に押さえ付けられているのではないか?

 

社会に出ればそれを垣間見れるだろう。

 

上からの圧力に屈し、只の頷くだけの人形と化す者も少なくない。

 

逆らえば、理想と云う名の予定表が崩れ去る事が恐ろしいあまりに。

 

総ては恐怖から来るもの。

 

心の弱さから来るもの。

 

いつだって弱者の声は高みの人間には届かない。

 

届いたとて、無かったことにされる。

 

そうやってこの世界は続いてきたのだろう。

 

まるで反抗期の子供をあやすかの様に。

 

怒り、憎しみ。

これらの感情は一つ一つは微々たる物。

だが、抱え込みすぎることで膨大な物となる。

山で例えることすら烏滸がましい。

 

その時、限度というものを超えた時、

彼等が何をしでかすかは誰にも想像だにしないだろう。

 

止める事はもはや不可能。

それを溜める手助けをしたのは、無意識の他者である。

 

自覚なき重圧は、害悪の他ならない。

耐え兼ねた者のみ、淘汰されるのは可笑しい。

 

とは言ってみたものの、

 

私自身もまた、どちら側の人間なのかも、

露知らず。

 

 

「感情が具現化する世界が訪れたら、

 

                                 一体、人はどうなる?」

 

伸縮

 

 

髪は伸びる。

 

寿命は縮む。

 

背は伸びる。

 

しかし、背は縮む。

 

世界において伸縮は、せざるを得ないもの。

 

手を伸ばせば、感情は縮む。

 

それを踏まえるならば、

 

ゴムは唯一無二である。