雑多語録 〜叱られる前に悟れ〜

記されている事柄全てを鵜呑みしてはいけない。常に疑うことを忘れない精神を持って欲しい。

愚者

 人間は愚かである。

 

まずはそれを自覚すべき事柄の最優先事項である事を頭に入れて欲しい。

 

我々は様々なもの、事に手を"出し過ぎた"。

 

恐らく自分達で築き上げたものが火種となり、自らで身を滅ぼすこととなるだろう。

 

 

 人間は何かに縋らなければいけないという固定概念を植え付けている。

 

死ぬ間際でさえ、「まだ死にたくない。」と何もない何か、まさに無にしがみつく。

 

助けを乞う。自分にはないものを補おうとする。

 

常識に囚われる。

 

誰かが暦を作った。何者かが時間という制限を生み出した。

あたかも”最初から存在していた”といわんばかりに。

 

自分で自分の首を絞めている。自傷行為を合間なく行っている。

 

便利であることは確かである。

 

しかし、

 

暦を作ったことで”老い”を絶え間なく実感してしまう。

 

時間を作ったことで、何かから幾時も追われる羽目になる。

 

心の余裕は完全に葬り去られた。

 

自由を謳っている我々だが、そんなものは傍から存在しないのだ。

 

全生物の中から唯一知識が特化してしまったがために、幾多の試行錯誤をしたが故に発生してしまった当然の結末といえよう。

 

得ようとし過ぎた。

 

それが愚かと云う事か。

 

果たして世界はどうなる?

 

____見据える前に、この身は果てるが________。

 

 

 

 

 

 

全悟

 

人は悟る。

 

幾度となく悟りを繰り返す。

 

全てが善であるかは人それぞれである。

 

度重なる苦行、悪行を経て真に悟る。

 

その後如何なる人生を歩むのか、

 

理解した上で邪の道を選ぶのか、

 

はたまた考えを改め初々しい旅路を始めるのか。

 

どれが、何処が必ずしも正しいとは他者には解せないものである。

 

己一筋で行くしかないのだ。

 

自身が真の理解者足り得るのだから。

 

自問自答を繰り返せ。

 

悟るにはそれが一番近しい。

 

「沙汰は自殺者達は、

                          世界の行く末を悟ったのか?」

 

欲求

 

この世に数多に蔓延っている欲求と云う存在。

 

その幾多ある欲求の中でも人々に共通して存在するものといえば三大欲求にも選ばれた

 

「食欲、性欲、睡眠欲」 である。

 

空腹を紛らわせるために何かを食したいと思う感情であり

 

他者との営みに講じたいと感じる事であり

 

眠ることで身体を休めたいと感じる事である。

 

だが、決してこれらの3つを満たさなければ必ずしも死んでしまうわけではない。

それは誰もが熟知している事だろう。

 

そう、欲求というものは固い信念さえ有れば

自身で制御することが可能なのである。

 

極論ではあるが、犯罪と同じような立ち位置に欲求を置いてさえいれば、出したくても出せないという状況が完成してしまうのだ。

 

それに欲求というのは、その時一瞬の快楽、達成感、満足感を得られるだけであり、

人間単位でいう、数年後もそれらを得られているとは到底思い難い。

 

つまりはこうだ。

 

固い意思を待て。

自分をコントロールする術を持て。

我慢を極めるのだ。

 

 

さあ、君は選ばざるを得ない。

現在を満たすだけの愚者か

将又、未来を見据える観測者となるかを。

 

 

 

 

 

重圧

 

私達人間は日々、重圧に押さえ付けられているのではないか?

 

社会に出ればそれを垣間見れるだろう。

 

上からの圧力に屈し、只の頷くだけの人形と化す者も少なくない。

 

逆らえば、理想と云う名の予定表が崩れ去る事が恐ろしいあまりに。

 

総ては恐怖から来るもの。

 

心の弱さから来るもの。

 

いつだって弱者の声は高みの人間には届かない。

 

届いたとて、無かったことにされる。

 

そうやってこの世界は続いてきたのだろう。

 

まるで反抗期の子供をあやすかの様に。

 

怒り、憎しみ。

これらの感情は一つ一つは微々たる物。

だが、抱え込みすぎることで膨大な物となる。

山で例えることすら烏滸がましい。

 

その時、限度というものを超えた時、

彼等が何をしでかすかは誰にも想像だにしないだろう。

 

止める事はもはや不可能。

それを溜める手助けをしたのは、無意識の他者である。

 

自覚なき重圧は、害悪の他ならない。

耐え兼ねた者のみ、淘汰されるのは可笑しい。

 

とは言ってみたものの、

 

私自身もまた、どちら側の人間なのかも、

露知らず。

 

 

「感情が具現化する世界が訪れたら、

 

                                 一体、人はどうなる?」

 

伸縮

 

 

髪は伸びる。

 

寿命は縮む。

 

背は伸びる。

 

しかし、背は縮む。

 

世界において伸縮は、せざるを得ないもの。

 

手を伸ばせば、感情は縮む。

 

それを踏まえるならば、

 

ゴムは唯一無二である。

 

 

深追

 

よく人々は、様々な面で深追いをするなと言ってくる。

 

何故なら知り過ぎる事は自らを死に陥れる事を

示唆しているのかもしれないから。

 

それ懸念して、言ってくるのであろう。

 

考えてみて欲しい。

 

深追い、つまり深く追うという事は、先にいる人間を追う行為である。

 

裏の社会に関してするのであれば、多大なリスクを伴う事もあるかもしれない。

 

しかし決して、この行為はしてはいけない事はないのだと言いたい。

 

既にそこに居座っている者こそ、罰せられるべきなのだ。

 

つまり私が言いたい事は一つ。

 

逃げるより、追え。

 

ただ、追う限り、先駆者にはなれない。

それでも構わぬものは追うのだ。

 

 

「 常に私は、

                              鬼で有れれば。 」

 

 

 

 

 

道程

 

人それぞれ辿る道というものは違う。

 

自分が目指している道が、ある人にとっては邪の道であるかも知れない。

 

自分が目指すべき道ではないと感じる道も、誰かの目指す場所であるかも知れない。

 

人生に於いて、道は前にしか無いらしい。

 

 

では、前進する、とは何なのか?

 

前とは何処か。

 

自分の見えている世界が前ならば、後ろも前になる。

 

後ろに振り向けば、それは後ろではなく、前になる。

 

横を向けばそこが自分の前になる。

 

成る程、道は前にしか無いのではなく、

 

私達は、前を"向かざるを得ない"のである。

 

懐古することは、人生への反逆を意味するだろうか。

昔はよかった、それを言うだけで人の成長はそこで止まる。

 

それもまた、良きかな良きかな。

 

選択肢は無限に存在するのだから。

 

 

「ダルマもまた

                       転ばざるを得なかった…?」